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ハンセン病 60年根っこの差別変わっていない 通学妨害事件知る2人訴え 映画化した監督×当時の在校生(2020年1月26日配信『東京新聞』)

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「黒髪校事件」を振り返る三浦俊一さん(左)と中山節夫監督=23日、東京都渋谷区で

 東京都内で開かれている「ハンセン病映画祭」で、熊本市の小学校で起きた差別事件を取り上げた映画「あつい壁」が上映されることがきっかけで、当時の小学校に通っていた男性と監督が顔を合わせた。「社会の差別意識は変わっていない」と二人は共鳴し、映画祭が問題を考えるきっかけになることを期待している。二十六日は差別根絶を呼び掛ける「世界ハンセン病の日」。 (井上靖史)

 映画の題材となったのは熊本市の黒髪(くろかみ)小学校で1954年に起きた「黒髪校事件」。国立ハンセン病療養所「菊池恵楓(けいふう)園」(熊本県合志市)の入所者の子どもで、熊本市内の寮で生活していた新1年生たちが「健康で感染の恐れなし」と確認されて同小へ通うことになったが、PTAの一部が通学を妨害し、自分の子どもを休ませるなどの抗議行動を起こした。

 対立は1年続き、寮の児童たちは全国各地の施設へ引き取られ、寮も廃止された。

 1年生の1人だった三浦俊一さん(72)=大阪市在住=は、分裂した地域の雰囲気を「子ども心にも怖かった」と振り返る。三浦さんは親の意向で通学したが、他に登校初日に教室にいたのは、教員やキリスト教徒の子どもなど3人だけ。通学しなかった友人からは下校中に石を投げられた。
 
 70年に製作された「あつい壁」は事件の実話を基に、ハンセン病の親や寮の児童の悲劇を描き、病気への偏見と差別を告発した。中山節夫監督(82)は当時高校生で、菊池恵楓園近くに自宅があり、ハンセン病に関心があった。作品がハンセン病映画祭で上映されると知った三浦さんが、鑑賞を主催団体に申し込んだ際に生い立ちに触れ、対面につながった。

 2時間にわたり当時の様子を話した2人は「学校の問題で対立した人同士の亀裂は、その後も残り続けていた」と溝の深さをしみじみと実感していた。

 三浦さんの姉(87)はハンセン病関連施設の検査技師をしており、一緒に働いた看護師ともども縁談が破談になった。「患者や家族以外も差別を受けた実態を知ってほしい」と願う。中山監督も「自分が同じ差別される立場だったらと、多くの人に考えてほしい」と話している。

 ハンセン病映画祭は「笹川保健財団」(東京)の主催で、ハンセン病をテーマにした映画四本を都内各地で上映する。初回は今月23日に行われ、今後は2月21、23、24日、3月29日にあり、「あつい壁」は3月29日午後1時半から、東京都港区赤坂一の日本財団ビルで上映。無料で、申し込みが必要。映画祭事務局=電080(6687)4118=へ。

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映画「あつい壁」の一場面から=(c)ハンセン病映画祭



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解説
昭和二八年に熊本で起きた黒髪小学校事件を骨子に、一市民一家の悲劇を通して、ハンセン病への偏見と差別を告発した作品。脚本・監督は新人の中山節夫。撮影は内田周作が担当。

1970年製作/95分/日本

ストーリー
昭和二十八年の夏。岡本初江が勤めている熊本のある小学校。彼女の担任の五年生に太田信次という陽気で、快活な少年がいたが、彼の父親がある日意外にもハンセン病の診断をくだされ、ライ療養所「恵楓園」に収容されたために、信次の家庭は音をたてて、崩壊しはじめた。やがて、兄の信夫は、町のパン工場で働きながら、夜は定時制高校に、通うことになり、弟の信次は吉田寮の分教場で、老教師上条先生らと共にみじめな環境にもめげず、活路を見出して行く。やがて年が明け、その分教場の三人の新しい一年生が本校の西町小学校に入学できるようになったことから、PTAでは、これらハンセン病患者の子“未感染児童”の入学問題をめぐって、賛成派と反対派に真ッ二つに割れ、反対派が強行した同盟休校の騒ぎは、波紋を市全体へ拡げた。その西町小学校に転勤してきた岡本初江はこの不幸な子らのために何をなすべきかを考えるうちに、次第に教師として目ざめていくのだった。そして、この厚い壁につきあたって悩む初江を力づけるのは、同志の石川先生や、同窓の親友で今では辺地の小学校で教師をしている雅美だった。争議が外形だけはどうやら解決したころ、母親雪乃に再婚話がもちあがる。それは、信次には納得の出来ない第二の悲劇として、彼の子供ごころを突き刺した。苦しみは兄の信夫にも訪れた。パン工場の労使間の争いにまきこまれ、ハンセン病患者の子であることを隠していた信夫は、そのため窮地に追いこまれてしまった。その時、信夫は信次の突然の死を知らされた。電車に轢かれた信次の死体は恵楓園の霊安室に運ばれた。通夜の夜、「信次の死は事故かも知れん、自殺かも知れん、しかし本当は殺されたんだ。私も信次を殺した一人なんだ」と自己批判する上条先生。そのしみじみとした言葉を噛みしめながら、初江はまた明日から始まる教師としての生活に雄々しい心で戻ってゆくのだった( 映画.com)。






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