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「障害を強みに」 車いすの社長が望む未来(2020年2月2日配信『日本経済新聞』)

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バリアフリーの先へ(1)

障害者は全国で約963万人いる(2019年障害者白書)。障害者や高齢者も使いやすい「ユニバーサルデザイン」を企画・設計するミライロ(大阪市)の社長、垣内俊哉(30)もその一人だ。立命館大学在学中に起業し、10年に会社を設立。3年ほど赤字だったが、現在は増収増益を続ける。障壁(バリアー)から価値(バリュー)を生み出す方法を多くの企業に提案する。

■「あるきたい はしりたい」

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歩けたのは小学4年生まで。その後は車いすの生活になる


垣内は歩くことができない。人生の5分の1を病院で過ごしてきた。骨形成不全症。2万人に1人の割合で発症する病気で、生まれつき骨がもろい。これまで20回以上骨折し、10回以上手術をした。小学4年生までは歩けたが、その後は車いすの生活になる。「あるきたい いつかみんなと はしりたい」。子供の頃、詠んだ句だ。かなわなかった願いを仕事にぶつけてきた。

丸井でLGBT対応のマナー研修を行うと、27センチの婦人靴のラインアップにつながった。街中の段差などの情報を提供するバリアフリーの地図アプリ「Bmaps」を開発すると、大和ハウスグループが車いすユーザーの視点を学び、住宅設計に生かす。不便と感じなくなれば障害ではなくなる。「障害は人にでなく環境にある」と考える。

■70年越しのバリアフリー

19年には日常生活に不可欠な障害者手帳の電子化サービスを始めた。協力企業であればスマートフォン向けアプリで個人認証ができ、登録すればスマホを見せるだけで障害者割引や必要なサポートをスムーズに受けられる。「手帳には住所も載っているので、現物を他人に見せたくない人も多い。70年続いてきたバリアーを新しい形に変えた」

多様な人間が仲間に加わることでミライロの事業の幅は広がっていった。19年まで人事部長だった堀川歩(29)は、垣内の講演会を聞いて「働きたい」と直訴した。「バリアーを感じているのは私たちLGBTも同じ」。体は女性だが、心も見た目も男性のトランスジェンダーとして生きてきた堀川に対し、垣内は「性別は関係なく個人として入社させてくれた」。堀川が加わりミライロはLGBTも含めたより幅広いユニバーサルデザインの市場を開いていく。

■理念だけではなく、利益も

堀川は20年1月に独立し、トランスジェンダーに特化した職場づくりの支援をする会社「アカルク」を立ち上げた。顧問には垣内が就き連携は続く。「マイノリティーでも自分の可能性を生かせる。そのためには、理念だけではなく、企業として利益を出せる経済性も大事だと教えてくれた」

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「周りからどう接してほしいですか」。そう聞くと垣内は「特別扱いをしないでほしい、ということですかね」と静かに答える。世の中には越えがたい壁があると感じた苦い思い出がある。中学の修学旅行のとき「親同伴でないとダメ」と言われた。「特別扱いしないでください」とお願いすると、先生は「あなたを特別扱いしないわけにいかない」。配慮がルール化してしまい、特別扱いが当事者を苦しめることもある。「障害者は叱られないんですよ」。その配慮が結構つらい。

ただ「過剰な配慮」はインフラの整備で変化しつつある。例えば1日平均利用者が3千人以上の鉄道駅では、9割以上がエレベーターの設置などで段差が解消されている。日本は障害者に無関心な人も多いといわれるが「実は世界で最もバリアフリーが進んだ国。周りの人が配慮しなくていい環境になっている」

■高齢化社会を先取り

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「障害者への理解なくして高齢者への理解はない」と話す垣内

「高齢化社会への対応」が叫ばれる日本だが、障害者のニーズは高齢者のニーズに重なる。「私はせいぜい歩けないぐらい。高齢者は歩きづらくなり、見えづらくなり、聞きづらくなる。いわば障害者のニーズを統合した状態だ。障害者への理解なくして高齢者への理解はない」

障害者に対応したデザインやサービスをビジネスにすれば、おのずと高齢者対象の市場開拓につながる。障害者は人口全体の7%の市場だが、28%を占める高齢者を加えれば「一気に約4千万人の巨大マーケットになる」。そのニーズはベビーカーを扱う子育て世代にもつながる。

本気で怒ってくれた社長

垣内は死のうとしたことがある。17歳の時だ。エレベーターのない高校では、教室が変わるたびに友人に車いすを運んでもらい、階段をはって上った。周囲の目が突き刺さる。手術を重ね障害を克服しようとリハビリに専念するために高校を中退した。「普通になりたかった」。リハビリの成果は出ず歩ける希望は絶たれた。その夜、病院の屋上の柵に手をかけた。ところが登れない。「死ぬことすらできないという絶望を味わった」。涙が止まらなかった。

「おまえ、営業やれ」。歩けないことを強みに変えるきっかけとなった言葉だ。大学時代の服のデザイン会社のアルバイト。その社長は垣内に外回りを命じた。会議に数分遅刻しただけで「なめてんのか」と本気で怒った。同じ会社に何度も通ううちに「車いすの営業マン」として顔を覚えられトップの成績になった。

■「克服」ではなく「強み」に

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「障害があるからこそできることがあるだろう」。社長は「車いすでは無理」と考えず、垣内の明るい性格を営業向きと判断してくれた。特別扱いせず「何かあれば言えよ」というスタンスだった。「自分でできることは自分でやり、困った時にはしっかりと声を上げる」。歩けないからできることがある。光が初めて見えた。バリアーはすべて仕事につながっていく。

「自分の子供がもし障害を持って生まれても、生まれてきてよかったと思ってほしい。いつか父になる日までに、そんな社会をつくっておきたい」。その希望が、バリアフリーの先の景色を変えていく。




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Author:gogotamu2019
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