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<パラリンピックがやってくる 平山譲> (6)垣根を越える新たな競技(2020年2月15日配信『東京新聞』)

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2010年に中国・広州で開かれたアジアパラ競技大会の試合でサーブを打つ竹田賢仁さん(竹田さん提供)

 パラスポーツは障害者のみならず誰もが楽しめる。

 その名のとおり、座った姿勢でプレーするシッティングバレーボールは、戦争で脚が不自由になった人々によって1956年にオランダで考案された。

 92年に水泳選手としてパラリンピックのバルセロナ大会に出場していた竹田賢仁さんが、インフォメーションセンターのモニターで知って初めて日本国内に持ち込んだ。

 「相手チームからの容赦ないスパイクを拾う。自チームに思いやりあるトスを上げる。優しさと厳しさが同居している競技性にひかれました」

 大学生のときバスケットボールの選手だった竹田さんは、事故で右脚を失った。車いすは利用しないため車いすバスケはやらず、バレーボールとは似て非なる球技に夢中になった。

 臀部(でんぶ)を浮かせてはならないためパワー勝負になりにくい。サイドアウトが少なくラリーの応酬が長く続くため戦略性が高い。

 「誰もが同じコートに入り、同じルールですぐに楽しめる。特殊な道具も装具もいらない。脚がない方が素早く反応できるので、障害者が不利ともいえません。こんなに親しみやすいスポーツ珍しいでしょ」

 昨年12月に行われた日本選手権には、男子19、女子8チームが参加。チームには最低1人障害者を含めなければならず、競技人口は増えつづけている。

 ネットの高さは男子1・1メートル、女子1・05メートルと、男子ならバレーボールより1・25メートル低い。規格に人が合わせるのではなく、人に規格を合わせるバリアフリーの精神が、障害者と健常者を選ばない新たなスポーツを創造した。

 「以前は両脚の太さを同じように見せるカバーを義足につけることで、障害者であることを隠して生活していました。いまはもうカバーをつけていません。一つのボールをつないで喜びあえれば、障害者も健常者も関係ないと、この競技が教えてくれました」

 2014年まで日本代表選手として活躍してきたが、右腕のけがもあって地元東京大会は後進に託した。現在は日本パラバレーボール協会副会長として強化と普及に尽力している。

 「アテネでもロンドンでも北京でも、パラリンピックではホームゲームが満席で、敵ながらうらやましく思えました。僕が代表を引退した北京大会を最後に、男子日本代表は勝利がありません。東京大会では世界の強豪相手に全力で挑む選手たちの一生懸命さを応援してもらえたら」

 おなじみのバレー、砂上のビーチバレーといった五輪だけでなく、パラリンピックでも、一万人収容の幕張メッセAホールで、ネットを挟んだ熱い攻防が見られる。




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Author:gogotamu2019
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