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相模原障害者殺傷事件 検察が死刑求刑 植松聖被告(2020年2月1日配信『NHKニュース』)

相模原市の知的障害者施設で入所者19人を殺害した罪などに問われている被告に対し、検察は「障害者を1人の人間として尊重する社会の価値観と相いれない犯行で、酌量の余地はない」として死刑を求刑しました。

相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」の元職員、植松聖被告(30)は平成28年7月、入所者19人を殺害した罪などに問われています。裁判で被告は殺害などについて認め、責任能力の有無が争点となっています。

17日、横浜地方裁判所で開かれた裁判で、検察は「『被告が大麻を使用した影響はなかったか、あったとしても小さかった』などとする鑑定医の意見は公正さや能力に疑いがなく信用性は高い」として、被告には事件当時、責任能力があったと主張しました。

そして「19人の尊い命が奪われた類を見ない犯罪で、施設で平穏に生活していた被害者が突然、命を断ち切られた無念さは察するに余りある。ほとんど抵抗できない被害者を一方的に殺害した卑劣で冷酷無比な犯行だ」と述べました。

そのうえで「『意思疎通ができない障害者は殺したほうがいい』という犯行の動機は障害者を1人の人間として尊重する社会の価値観と相いれず、反人道的で酌量の余地は全くない。裁判でも自分の考えの正当性を主張し続けていて、更生の可能性は皆無だ」として、死刑を求刑しました。

被告は黒いスーツ姿で検察の意見を静かに聞いていて、求刑の瞬間も表情を変えることはありませんでした。

17日の裁判では検察の求刑に先立って事件で犠牲になった19歳の「美帆さん」の母親が遮蔽された証言台の前で心情を述べ、「私は娘がいて、とても幸せでした。決して不幸ではなかったです。『不幸を作る』とか勝手に言わないでほしいです。どんな刑があなたに与えられても、私はあなたを絶対に許さない。許しません。私のいちばん大事で大切な娘、美帆を返してください」などと叫ぶように訴えました。

これまでの裁判で弁護側は大麻を使用したことによる精神障害の影響で責任能力はなかったとして無罪を主張していて、19日に最終的な意見を述べることになっています。

判決は来月16日に言い渡される予定です。

被害者の父「全員が待ち望んでいたこと」

事件で一時、意識不明の重体になった尾野一矢さん(46)の父親の剛志さんは、検察が死刑を求刑したことについて「遺族や被害者、その家族が全員望んでいたことなのでこれでよかったと思います。求刑の際被告は顔色ひとつ変えずその考え方も変わっておらず、この期に及んでも反省の気持ちはないと感じます」と話していました。

そして、17日の法廷で犠牲者の1人の美帆さんの母親が心情を述べたことについて「『娘を返して』という言葉があり、遺族や被害者家族が座る傍聴席では声を押し殺すように泣いている人もいました。私たちも息子を事件の前に戻すことはできず、美帆さんの母親の言葉が家族の気持ちをすべて表わしているように感じました」と話していました。

犠牲者の弟「遺族の思いを検察官が代弁」

事件で犠牲となり、法廷で「甲Eさん」と呼ばれる60歳の女性の弟は検察が死刑を求刑したことについて、「遺族として冷静には言えない思いを検察官がくみ取って代弁してくれました。私も心情を述べる際に被告に死刑を求めましたが、一人の若者に生きる価値がないと言うのはやはりつらいです」と話していました。

また、裁判で被害者の多くが匿名で審理されていることに触れ、「事件の直後、放心状態の中で姉の名前が報道されるのが悲しくて匿名を申し出ました。裁判で『美帆さん』という娘の名前を出した母親が『娘は甲Aではない』と訴えるのを見て申し訳なくなり、きょうの裁判のあと美帆さんの母親に謝罪しました」と明かしました。

そして「私は姉の名前を今も伝えることはできませんが、せめてもの思いから被告人質問などでは遮蔽をせずに顔を出して臨みました」と話していました。

運営の社会福祉法人「当然のこと」

植松被告に死刑が求刑されたことについて、「津久井やまゆり園」を運営していた「かながわ共同会」は「卑劣で残虐な事件を起こしたことと、大切な肉親を突然奪われたご遺族の感情からすれば、当然のことと受け止めています」というコメントを出しました。

そして「亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、このような悲しくつらい事件が二度と起きず、利用者の方々がそれぞれの場で平穏な日常生活を送ることを願ってやみません」としています。



「あなたを絶対に許さない」美帆さんの母親 陳述全文(2020年2月17日配信『NHKニュース』)

キャプチャ

「美帆は冬晴れの日に誕生しました」。

「ひまわりのような笑顔でした」。

相模原市の知的障害者施設で入所者19人が殺害されるなどした事件で、殺人などの罪に問われている被告の裁判が開かれ、検察は被告に責任能力があったとして死刑を求刑しました。

法廷では検察官による求刑に先立って、19歳で犠牲となった「美帆さん」の母親が何度も声を震わせ、時におえつしながら心情を語りました。

犠牲者が匿名で審理される中、母親は「娘は甲でも乙でもない」と裁判に合わせて下の名前を公表しました。母親は被告の変わらぬ差別的な主張に心が壊れそうになりながらも傍聴に通い、法廷で心情を語るために長い時間をかけてことばをつづり練習も重ねてきました。

(以下、陳述全文)

美帆が人生の全てでした

私は美帆の母親です。美帆は12月の冬晴れの日に誕生しました。1つ上に兄がいて待ちに待った女の子でした。

幼いころはとても音に敏感でした。大きな音、初めての場所、人がたくさんの場所が苦手でした。人に挨拶されただけで泣き叫ぶ子でした。

3歳半で自閉症と診断されたあとは、とにかく勉強しました。本を読んだり、講演会に通い、少しでも美帆のことを理解しようとしました。

他の親御さんたちと障害のある方や、その親の気持ちを伝えようと思い、学校や地域で語ったこともありました。にらまれたり怒られたりするのが怖かったから理解してくれる人を増やそうと思いました。

美帆が私の人生の全てでした。

多くの良い先生や、友達、支援してくれた職員さん、ガイドヘルパーさん、ボランティアさんに恵まれました。皆、やさしく接してくれたので、とても人が好きで人懐っこい子に育ちました。

とても音楽が好きで「いきものがかり」ドラマの主題歌や童謡、クラシック、アニメ等ジャンルは問わず、いろいろな曲を聴いてノリノリで踊っていました。

乗り物に乗っているとご機嫌で、よくドライブしたり、電車やバスに乗りました。小さい時はブランコが大好きでした。プール、ジェットコースター、プラネタリウム、水族館、パレード、らーめん博物館、公園等、本当に大好きでいろんな場所に家族やガイドヘルパーさん、ボランティアさんと出かけていました。

ひまわりのような笑顔 私の娘であり先生でした

成長するにつれ、美帆は落ち着いてきました。一方で、9歳から大きなてんかん発作があり、小学校5年生ぐらいから多い時は週1少ない時も月1回ぐらい発作がありました。

家庭の事情で中学2年生の時から児童寮で生活していました。毎月会いに行くのが楽しみでした。仕事も娘のためと思うと頑張れました。多いときには4つの仕事をかけもちでしていました。

娘に障害のこと、自閉症のこと、てんかんのこと、いろいろ教えてもらいました。私の娘であり先生でもあります。優しい気持ちで人と接することが出来るようになりました。待つことの大切さや、人に対しての思いやりが持てるようになりました。人の良い所(長所)を見つけることが上手になりました。人を褒めることが上手になりました。

人懐っこくて言葉はありませんが、すーっと人の横(そば)に来て挨拶をして、前から知り合いのように接していました。笑顔がとても素敵で、まわりを癒やしてくれました。ひまわりのような笑顔でした。美帆は毎日を一生懸命生きていました。

(法廷で被告に)「お母さんのことを思うといたたまれません」と言われて、むかつきました。考えも変えず、1mmも謝罪された気がしません。痛みのない方法で殺せばよかったということなんでしょうか。冗談じゃないです。ふざけないで下さい。美帆にはもう、どんな方法でも会えないんです。

「美帆ちゃん、美帆ちゃん」一生忘れられない冷たさ

(事件)当日は7時30分頃「美帆が被害にあっている」との連絡をもらい9時から10時の間ごろ、やまゆり園に着きました。

名簿の×を見たときから、もう何がなんだかわからなくなり、頭も真っ白でした。何回も夢じゃないかと思い、ほっぺたをつねってみたのですが、夢か現実か、自分が誰なのか、どうしてここにいるのかも、わからなくなっていました。

だいぶ時間がたってから美帆に会えました。顔しか見せてもらえませんでした。ストレッチャーに乗せられていて「美帆ちゃん、美帆ちゃん」と何度呼んでも答えてくれなくて、自分で体温調節をするのが苦手で、汗をあまりかかない子だったので、いつも暖かい子が、その時はすごく冷たくて、冷たくて、そんなこと一度もなかったのにすごく冷たくて一生忘れることのできない冷たさでした。会ったのは数分だと思います。

プリント等配っていましたが、何を手にしているのだろう、皆、何を言っているのだろうと不思議でした。私は頭痛がひどくて「診療所の先生が園に来ているから具合の悪い人は言って下さい」と園長先生に言われて診てもらったら「血圧がすごく高いので頭痛はなおらないけど点滴するので診療所に来られるようなら来て下さい」と言われ警察の車に乗せて頂き点滴を受けました。

警察と園と遺族の話で、名前を出すか出さないかでとても揉めていたのを覚えています。私は言葉がでなくて一言も発することが出来ませんでした。

葬儀は、地元の斎場で音楽葬でしました。マスコミが多く来ていたようですが、弁護士会から来て頂いている弁護士や警察が協力して入れないようにしてもらえました。

美帆の好きな童謡や「いきものがかり」などの音楽を流し、参列者には娘の顔も見てもらいました。美帆のアルバムや額に入った写真を見てもらいました。着物を着せて見送りました。のべ200人位の人が見送ってくれました。

自分の命より大切な人を失い 私たちは殺された

事件後、家はめちゃくちゃになりました。

社交的で老人会や自治会の活動に積極的に参加していた祖母が家に引きこもってしまい、一歩も外に出なくなりました。人と話をするのが好きだったのに誰とも話さなくなりました。料理や庭の手入れをするのが好きでしたが全くしなくなりました。笑顔が消え、表情がなくなりました。

兄は具合が悪くなり、休み休み仕事をしていましたが入院することになり仕事を辞めました。

私は食事をしても味がわからなくなり、9kgやせました。心療内科に通い薬を飲むようになりました。体が痛くて寝る時に骨が当たって痛くて眠れませんでした。1人で外出するのが怖くなり、外に出られなくなりました。がんばって外に出ると心臓の動悸がすごく、ドキドキしてブルブル全身が震えてしまうことがよくありました。今でもこの発作で震えてしまうことがあります。

私の人生はこれで終わりだと思いました。自分の命より大切な人を失ったのだから。

美帆がいなくなったショックで私たち家族は、それまで当たり前にしていたことが何一つできなくなりました。私たち家族、美帆を愛してくれた周りの人たちは皆、あなたに殺されたのです。未来を全て奪われたのです。美帆を返して下さい。

あなたに極刑を望む

他人が勝手に奪っていい命など1つもないということを伝えます。

あなたはそんなこともわからないで生きてきたのですか。ご両親から教えてもらえなかったのですか。周りの誰からも教えてもらえなかったのですか。何て、かわいそうな人なんでしょう。何て、不幸な環境にいたのでしょう。本当にかわいそうな人。

私は娘がいて、とても幸せでした。決して不幸ではなかったです。「不幸を作る」とか勝手に言わないでほしいです。私の娘はたまたま障害を持って生まれてきただけです。何も悪くありません。

あなたの言葉をかりれば、あなたが不幸を作る人で、生産性のない生きている価値のない人間です。あなたこそが税金を無駄に使っています。あなたはいらない人間なのだから。あなたがいなくなれば、あなたに使っている税金を本当に困っている人にまわせます。

あなたが今、なぜ生きているのかわかりません。私の娘はいないのに、こんなひどいことをした人がなぜ生きているのかわかりません。何であなたは1日3食ごはんを食べているのですか。具合が悪くなれば治療も受けられる。私の娘はもうこの世にいなくて何も出来ないのに。

あなたが憎くて、憎くて、たまらない。八つ裂きにしてやりたい。極刑でも軽いと思う。どんな刑があなたに与えられても私は、あなたを絶対に許さない。許しません。

私の一番大事で大切な娘、美帆を返して下さい。美帆はこの世にいなくて、好きなことは何もできません。私たち家族とあうこともできません。失われた時間はもう二度と取りもどせません。

でも、あなたは、こうして生きています。ずるいです。おかしいです。19人の命を奪ったのに。美帆は、一方的に未来を奪われて19年の短い生涯を終えました。

だからあなたに未来はいらないです。私は、あなたに極刑を望みます。一生、外に出ることなく人生を終えて下さい。

2020年2月17日 美帆の母




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