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84年目の二・二六事件



 
二・二六事件(2020年2月1日配信『日本経済新聞』ー「春秋」)

 84年前のこの日の早朝、2人の「和子さん」が軍人の放つ銃弾のなか、命の危険に身をさらしていた。1人は吉田。戦後に首相となった茂の三女である。当時20歳。祖父で伯爵の牧野伸顕と神奈川県の湯河原にいて、祖父を逃す際、顔を何発も弾がかすめたと証言した。

▼もう1人は渡辺。陸軍教育総監の次女だ。東京・荻窪の私邸で、父親が撃たれ切りつけられて絶命するまでの間、同室の座卓の下に身を隠していた。小学校3年である。暗殺やテロといった暴力でものごとを動かそうとの流れが行きついた先の二・二六事件。軍の政治への発言権は強まり、世は戦争の悲劇へ傾斜していく。

▼結婚を機に麻生姓となった吉田和子は戦後、首相である父のファーストレディー代わりとして随行、1951年のサンフランシスコ講和会議にも出向いた。一方の渡辺和子はキリスト教の洗礼を受け、修道女として活躍、晩年は「置かれた場所で咲きなさい」などのベストセラーで多くの人々の日常に希望の灯をともした。

▼2人の原点には若き日に見た「恐怖による支配」への嫌悪があったか。今、幸いにも日本の政治にはそんな手法が用いられる気配はない。だが、職場、学校などではハラスメント、いじめといった不寛容や力による専制に悩む人も少なくなかろう。無用な澱(おり)が、あの日の雪のごとく心中に積もることなきよう、自省したい。

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吉田首相と和子

麻生(吉田) 和子(あそう かずこ、1915年〈大正4年〉5月13日 - 1996年(平成8年)3月15日)。日本の第45・48~51代内閣総理大臣・吉田茂の娘。第92代内閣総理大臣・麻生太郎の母。満80歳で死去する。

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渡辺 和子(わたなべ かずこ、1927年2月11日 - 2016年12月30日)は、キリスト教カトリック修道女 (修道女名:シスター・セント・ジョン。 学校法人ノートルダム清心学園理事長。満89歳で死去する。北海道旭川市生まれ。2012年に発売した著書『置かれた場所で咲きなさい』が、200万部を超えるベストセラーとなった



二・二六事件からきょう、84年目…(2020年2月26日配信『福井新聞』-「越山若水」)

 二・二六事件からきょう、84年目を迎えた。福井県人としては初の総理大臣岡田啓介。その名の記憶を毎年刻み直す日だ。そんな折に岡田と誤認され殺された松尾伝蔵大佐の手紙が岡田直筆の色紙とともに坂井市の民家に残されていることが分かった。貴重な史料が掘り起こされ喜ばしい

▼岡田の足跡を知ることができる出版物に1956年の「岡田啓介」がある。遺族の意向もあって生涯を逐年ごとに叙述する偉人伝とはせずに、政治家岡田に比重を置いている。それでも当時の内閣担当記者で執筆を担った有竹修二は序文で人間岡田に迫っている

▼執筆前、福井を訪れ市立郷土歴史館に郁(いく)夫人に宛てた岡田の訓誡(くんかい)の書が保管されていたことを知った。岡田は海軍将校時代、留守が多かったため、後を託す夫人にしたためたもので有竹は精読し「母を、家を、児を思う誠心歴々として、夫人の心奥にある琴線に触れたことと察せられる」と記している

▼訓誡の書「道しるべ」の一節。「我(わが)家は貧の極みなり。資産なく、余財なし。よく清貧に安んじ、足ることを知らば、我家の幸福これに過ぎざるべし」。有竹は「智情意三徳兼備の人」として岡田を改めて見直すに足る資料と結んでいる

▼「桜を見る会」を巡り、野党議員の挑発の言葉に腹を立てやじり、結果としては謝罪する宰相。岡田にはどのように映っていることだろう。

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[1868~1952]軍人・政治家。海軍大将。福井の生まれ。田中・斎藤両内閣の海相。のち、首相。二・二六事件で首相官邸を襲撃されたが、あやうく難を逃れた。事件後に内閣は総辞職。その後重臣となり、首相の銓衡にあたった。昭和27年歿、84才。



1936年のきょう早朝、一部青…(2020年2月26日配信『山陽新聞』-「滴一滴」)

 1936年のきょう早朝、一部青年将校が兵を率いて首相官邸などを襲撃し、重臣らを殺害した。「二・二六事件」である。民政党議員の斎藤隆夫は日記に「帝国未曽有の大事件なり」と書き記した

▼5月、66歳の斎藤は衆院で、軍部の責任を厳しく追及する「粛軍演説」を行った。議場は万雷の拍手。新聞も「舌鋒火を吐く」と大きく取り上げたという(松本健一著「評伝斎藤隆夫」)

▼名演説の主はしかし、4年後に議会を除名される。日中戦争に関し「聖戦の美名に隠れて」国民に犠牲を強いていると軍部、政府をまたもや批判。国家百年の大計を誤ると鋭く斬り込んだからだ。息巻く軍部の圧力に、今度は議会が屈服する

▼「言論の府」の自滅は暗い時代の象徴であったかもしれない。この年秋には大政翼賛会が結成された。政党は解散し、産業界や婦人会、町内会なども傘下に入った。戦時の国民動員に大きな役割を果たしていく

▼ノンフィクション作家の保阪正康さんは自著「父が子に語る昭和史」で、「この国論統一こそが翌年の太平洋戦争への伏線になった」とする。あらゆる団体がバスに乗り遅れるなとばかりに加わったと

▼軍部の暴走が招いた戦争は、勇ましさに浮かれ、同じ色に染まった「社会」もその歯車の一つになった。苦い歴史を知り、一色に染まらない未来にしたい。

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内容(「BOOK」データベースより)
斎藤隆夫の名は、二・二六事件当時の軍部の独裁を批判した一九三六年の「粛軍演説」と、四〇年の「支那事変処理に関する質問演説」で政府に厳しく迫り衆議院議員を除名されたことによって知られている。本書は彼の思想の形成過程、その精神や政治哲学、二つの演説の内実を子細に検討した本格的評伝である。略年譜、人名索引を付す。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
松本/健一
1946年群馬県に生まれる。東京大学経済学部卒業。麗澤大学教授。評論家。

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議事録から削除された斎藤演説部分(抜粋)

「国家競争ハ道理ノ競争デハナイ、正邪曲直ノ競争デモナイ、徹頭徹尾カノ競争デアル(中略)弱肉強食ノ修羅道二向ツチ猛進ヲスコレル、是ガ印チ人類ノ歴史デアリ、奪フコトノ出来ナイ現実デアルノデアリマス、此ノ現実ヲ無視シテ、唯徒(ただいたずら)二聖戦ノ美名二隠レテ、国民的犠牲ヲ閑却シ、曰ク国際正義、曰ク道義外交、曰ク共存共栄、曰ク世界ノ平和、斯ノ如キ雲ヲ掴ムヤウナ文字ヲ列へ立テテ、サウシテ千載一遇ノ機会ヲ逸シ、国家百年ノ大計ヲ誤ルヤウナコトガアリマシタナラバ現在ノ政治家ハ死シテモ其ノ罪ヲ減ボスコトハ出来ナイ(中略)事変以来今日二至ルマデ吾々ハ言ハネバナラヌコト、論ゼネバナラヌコトハ沢山アルノデアリマスルガ、是ハ言ハナイ、是ハ論シナイノデアレマス、吾々ハ今日二及シデ一切ノ過去ヲ語ラナイ、又過去ヲ語ル余裕モナイノデアリマス、一切ノ過去ヲ葬リ去ツチ、成ベク速二、成ベク有利有効二事変ヲ処理シ解決シタイ、是ガ全国民ノ偽リナキ希望デアルト同時二、政府トシテ執ラネバナラヌ所ノ重大ナル責任デアル(中略)然ルニ歴代ノ政府ハ何ヲ為シタカ、事変以来歴代ノ政府ハ何ヲ為シタカ二年有半ノ間二於テ三タビ内閣ガ辞職ヲスル、政局ノ安定スラ得ラレナイ、期ウ云フコトデドウシテ比ノ国難二当ルコトガ出来ルノデアルカ、畢竟スルニ政府ノ首脳部二責任観念ガ欠ケテ居ル(中略)国民的支持ヲ欠イチ居ルカラ、何事二付テモ自己ノ所信ヲ断行スル所ノ決心モナケレバ勇気モナイ、姑息愉安(こそくゆあん)一日ヲ弥縫(びほう)スル所ノ政治ヲヤル、失敗スルノハ当リ前デアリマス」





84年前の雪の日(2020年2月26日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 陸軍の青年将校が昭和維新を唱え、首相官邸などを襲撃した「二・二六事件」が起きた日、東京は大雪だったという。世を震撼させたクーデター未遂事件から今日で84年

▼1930年代の東京の記録を残した写真家の桑原甲子雄さんは事件の翌日、小型カメラを和服に忍ばせ、戒厳令下の市街地を歩いた。憲兵の目を盗み、鉄条網が張られた雪の街を撮った

▼二・二六事件が起きた年は「昭和史を象徴する事件」が多発したといい、著書「東京昭和十一年」で「こういう不気味な時代が私の青春の背景でした」と記した。桑原さんの写真は東京に忍び寄る不気味な空気を捉えている

▼屋部公子さんの第二歌集「遠海鳴り」は二・二六事件の記憶をたどる連作で始まる。冒頭の歌には「雪」の一文字。「雪降ると聞けば記憶の甦(よみがえ)るとほき二月のとほき叛乱(はんらん)」。歌人は当時7歳、沖縄を離れ、東京で暮らしていた

▼15年戦争の時代に育ち、軍需工場で働いた。戦後も苦しい生活が続いた。「父の公職追放もあり、一変した暮しのなかで暗い青春時代を送ることになりました」とあとがきで回想する。戦争に翻弄(ほんろう)された青春だった

▼「軍国日本の引き金となりし銃声の幻聴となる二月の空に」。戦世を知る者のみが感じる不穏な音や空気があるのだろう。屋部さんはそれを三十一(みそひと)文字で刻み、歌集を編んだ。忘れてはならぬ歴史の記録である。

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これらの写真は昭和十年代の私の生活圏からうまれてきた風景である」の一文から始まる写真家・桑原甲子雄(1913-2007)の写真集。二・二六事件、スペイン内戦、阿部定事件、メーデー禁止、イタリアがエチオピア併合など世界の歴史的な事件が起きていた同時期に、一アマチュアカメラマンに徹した桑原が見たカメラアイ。中平卓馬(1938-2015)、植草甚一(1908-1979)、谷川俊太郎など豪華執筆人による寄稿文。ブックデザインは平野甲賀。写真の引き伸ばしは荒木経惟が担当している。

目次
写真を読む わたしの東京
私の浅草 芥川比呂志
浅草六区 池波正太郎
三館共通の写真がでてきた 植草甚一
大勝館 北村太郎
雪の六区 北村太郎
昭和の一銭蒸気 小林信彦
エゴイスティック・カメラ 鈴木志郎康
一本銅 谷川俊太郎
路傍の商い 小沢昭一
市電にぶらさがる人たちの背景 佐多稲子
時間潰し 佐藤信
夢を見る前 佐藤信
鏡の中の三〇年代を愁い顔して振り返えるな 中平卓馬
時に撮られた子供 谷川俊太郎
下町の少年 池波正太郎
桑原甲子雄の人と仕事
キネさん・桑原甲子雄 濱谷浩
孤独な人間の後ろ姿 多木浩二
現像しつつ興奮した 荒木経惟
おぞましい記憶 桑原甲子雄
索引
あとがき

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あすは1936年に陸軍青年将校がクーデターを企てた…(2020年2月25日配信『毎日新聞』-「余録」)

 あすは1936年に陸軍青年将校がクーデターを企てた2・26事件が起きた日だ。暗殺された蔵相、高橋是清(これきよ)は多額の国債を発行して景気対策に充てる政策を世界でいち早く実施し、不況を脱した実績で知られる。「アベノミクスの手本」とも言われた

▲だが高橋の真骨頂(しんこっちょう)は借金財政から抜け出す「出口」を命がけで目指したことだ。事件3カ月前の予算閣議で軍事費拡大を迫る陸相を強くたしなめた。「だいたい軍部は常識に欠けている。ニューヨークやワシントン、モスクワを占領できるとでも本気で思っているのか」(幸田真音(まいん)著「天佑(てんゆう)なり」)

▲高橋は国民生活救済を目的とした積極財政が軍部に利用される事態を恐れていた。多くの政治家が軍部に迎合する中、堂々と批判を展開し、暗殺の引き金となった

▲アベノミクスの出口はどうか。景気対策と称し大型予算を編成し続けた結果、借金は1100兆円を超えた。安倍晋三首相の自民党総裁任期の満了は来年秋。もうつけ回しを減らす道筋を示す時期だ

▲ところが出口はさっぱり見えない。来年度予算案が提出された国会で議論すべきなのに、目立つのは首相答弁の混乱ばかりだ。それでも与党は今週中の予算案衆院通過に向け審議を急ぐというから、出口は置き去りにされそうだ

▲首相は講演で高橋の積極財政を取り上げ「私を勇気づけてやまない」と称賛したことがある。ただ軍部に立ち向かってまで出口を目指した姿には触れなかった。まさか知らなかったわけでもあるまい。

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内容紹介
足軽の家に養子となった少年、のちの高橋是清は、英語を学び、渡米。奴隷として売られる体験もしつつ、帰国後は官・民を問わず様々な職に就く。生来の勉強家は、現場経験を積んだことで不世出の銀行家へと成長する。

内容(「BOOK」データベースより)
仙台藩の足軽の家にもらわれてきた子、のちの高橋是清は、横浜で英会話を学び、13歳で渡米。契約社会のアメリカでは、奴隷として売られる体験もし、帰国後は官・民でさまざまな職に就く。教師、官吏、相場師、銀行員…、彼の武器は堪能な英語力と、型破りな発想力、そして持ち前の楽天主義。転職と失敗を繰り返しつつも、現場からの視点を失わないその姿勢は、一流の財政センスへと結実してゆく。第一級の歴史経済小説!

著者について
1951年滋賀県生まれ。米国系銀行の債券ディーラーなどを経て、95年『小説ヘッジファンド』で作家デビュー。『日本国債』はベストセラーとなる。作品は他に『凛冽の宙』『代行返上』『日銀券』『バイアウト』『財務省の階段』など多数。メディアへの出演も多く、公職も歴任。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
幸田/真音
1951年生まれ。米国系銀行や証券会社で、債券ディーラーなどを経て、95年『小説ヘッジファンド』で作家に。テレビやラジオでも活躍。政府税制調査会、財務省・財政制度等審議会、国土交通省・交通政策審議会の各委員など公職も歴任。2010年よりNHK経営委員会委員。

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Author:gogotamu2019
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