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<証言 相模原殺傷事件> (2)自ら外れた教師への道(2020年3月4日配信『東京新聞』)

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津久井やまゆり園ののぞみホームで働き始めた植松聖被告が文章を寄せた家族会報

 2008年春、植松聖(さとし)被告(30)は父と同じ教師になろうと、帝京大文学部教育学科(現教育学部)に進んだ。初めのうちは講義をサボらずに単位を取り、教師の勉強になると考えて学童保育でアルバイトもした。

 2年になるとクラブに通ったり、出会い系サイトを使って女性に会ったりするようになり、危険ハーブも吸い始めた。

 法廷で明らかにされた高校の友人の証言によると、植松被告は「ほぼ毎日吸っている。吸いすぎて、効いている時と効いていない時の境目が分からなくなっている」と話した。11年ごろからは「自然のもので体に悪くない」と頻繁に大麻を吸うようになった。薬物の使用は事件まで7年ほど続くことになる。

 元交際相手の証言では、3年のときに背中に入れ墨を入れた画像を送ってきた。驚いた女性が「先生になるんじゃないの。ばかじゃない」と連絡すると、「ばれないようにやる」とうそぶいた。精神鑑定医によると、彫師(ほりし)の下で働いたこともあり、暴力団とも接点があったという。

 素行は荒れていたが、4年の5~6月に小学校で教育実習をした。勤務や指導態度はA評価を受け、「子どもとの時間を大切にしていた」と認められた。小学校教員の1種免許状まで取ったものの、教員採用試験は受けなかった。

 「自分は勉強に励んでいなかった。子どもの大切な時間に関わるなら責任が必要だと考えました」。教師の道をあきらめたことを、被告は法廷ではそう説明した。

 卒業後は運送会社で自動販売機の入れ替え作業をしたが、「夜が遅く体力的に持たない」と半年ほどで退職。津久井やまゆり園で働く友人と飲み会で偶然再会した際、「利用者と散歩していると楽しいよ」と聞いて興味を持った。12年12月から働き始めた。

 園で働き始めた当初は「年収300万円だし安いな」とぼやきつつ、障害者は「かわいい」と感じていた。だが次第に変わっていく。15年12月の園の忘年会では「利用者を力で抑え付け、恐怖を与えた方がいい」と主張、上司と口論になるほどだった。

 法廷で「甲E」さんと呼ばれる姉=当時(60)=を殺害された弟(61)が、被害者参加制度を利用して植松被告に質問した。

 弟「不満があるのに、どうしてやまゆり園を辞めなかったのですか」

 植松被告「彼らがいない方がいいと気付いたからです」

 ゆがんだ差別意識が殺意へと変わろうとしていた。



<証言 相模原殺傷事件> (1)明るい中心的存在「さとくん」(2020年3月3日配信『東京新聞』)

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現在の植松被告の自宅の様子。玄関先の雑草は伸び、カーテンや雨戸は閉め切られている=相模原市緑区で

 相模湖の東の山あいに広がり、東京都八王子市に接する相模原市緑区千木良(ちぎら)地区。緑豊かなのどかな集落で、植松聖(さとし)被告(30)は小学校教師の父と漫画家の母の3人家族で育った。

 後に入所者19人を殺害した障害者施設「津久井やまゆり園」は実家から600メートルしか離れていない。実家は事件後、空き家となり雑草が伸びたままだ。

 法廷で朗読された同級生らの供述調書によると、植松被告は小学時代、「さとくん」と呼ばれた。「陽気で明るい性格。みんなとわいわいやっていた」(同級生の男性)。同学年と1学年下に1人ずつ知的障害者がいて身近な存在だった。

 「さとくんから、障害者への偏見や差別を聞いたことはない」(別の同級生の男性)というが、作文には書いたことがあった。

 横浜地裁での第11回公判。殺害された美帆さん=当時(19)=の母親の代理人弁護士が植松被告に質問した。

 弁護士「小学校の時に障害者はいらないとする作文を書いたか」

 植松被告「低学年の時だと思う」

 弁護士「小中学生の時、親や友達に障害者はいらないと話したことは」

 植松被告「あったと思います。友人には」

 中学ではバスケットボール部に所属し、友人と喫煙や飲酒、万引もした。親や教師に反発して物を壊したり、学習塾の窓ガラスを割ったりしたこともあった。

 高校は「料理を作るのは楽しそう」と都内の私立高校の調理科に進んだ。授業は寝ていることが多く、成績は中の下だった。2年の夏にバスケ部員を殴り、1カ月の停学処分になった。

 「目立ちたがりで何も考えていない。ただのばかだった」。精神鑑定医によれば、植松被告は当時をそう振り返ったという。

 第6回公判。高校1年の夏から2年の冬ごろまで交際した女性の供述調書が読み上げられた。

 「植松(被告)は根が純粋で、クラスのリーダー的存在。体育祭ではダンスを面倒がる同級生に、やるぞーと声をかけ、場を明るくしていた。交際中は優しく連絡もマメだった」

 女性が植松被告の自宅に行くと、母親は「あら、かわいい子。聖、良かったじゃない」と優しく迎えてくれた。父親は口数は少なかったが、パスタを作ってくれたことがあった。「植松がデートのことを親にオープンに話すので、家族は仲が良さそうに見えた」

 中高時代、時折切れて物を壊した植松被告。両親は「反抗期にみられる普通の子」と受け止めた。実際、高校2年ごろからは徐々に暴れなくなっていた。だが大学に入ると、素行は大きく乱れ、危険ドラッグに手を出すようになった。

 ◇ 

 2016年7月26日に起きた相模原殺傷事件の裁判員裁判は検察側が植松被告の死刑を求刑し、16日に判決が言い渡される。公判で初めて明らかにされた多くの証言や取材を基に、事件の真相を探る。





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