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きょう、東京大空襲75年 「記憶ないが、傷痕はある」 70代「若年遺族」被害語る 浅草(2020年3月10日配信『毎日新聞』) 

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空襲で亡くなった父と祖父の氏名を示しながら語る森田千恵子さん=台東区で

 10万人が犠牲となった東京大空襲は10日で75年を迎える。幼いころに空襲で肉親を失い、当時の記憶がほとんどない「若年遺族」のトークイベントが8日、台東区の浅草公会堂であった。当事者の高齢化が進む中、空襲体験の後世への継承に向けた新たな取り組みだ。これに合わせ、東京空襲犠牲者遺族会(榎本喜久治会長)は、都が非公表としている犠牲者14人の氏名を公表した。

 イベントでは、現在70歳代の遺族4人が、空襲の被害を語った。森田千恵子さん(78)は3歳で空襲に見舞われ、父の岩上登さん(当時33歳)と祖父辨吉さん(当時63歳)を亡くした。祖母に背負われて生き残ったことを後に聞かされた。顔と両手にやけどの痕が残っているといい「記憶はないけれど傷痕はしっかり残っている」と話した。



戦後75年・名作の風景 ガラスのうさぎ/上 高木敏子さん 戦争起こさない心を(2020年3月10日配信『毎日小学生新聞』)

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愛する家族をうばった東京大空襲について語る高木敏子さん=千葉市で

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 ガラスのうさぎ」(金の星社)

高木さんの実家が近くにあった東京・領国付近。45年3月10日の東京大空襲では一夜のうちに焼け野原になり、10万余の人命が失われ、100万人が路頭に迷った。

 1945年ねんに第二次世界大戦だいにじせかいたいせんが終おわってから、今年ことしで75年ねんをむかえます。これまでに戦争せんそうの悲かなしさや平和へいわのとうとさを子こどもたちに伝つたえる本ほんが生うまれてきました。名作めいさくを通つうじて戦争せんそうと平和へいわを見みつめ直なおします。初しょ回かいは、45年ねん3月がつ10日とおかの東京大空襲とうきょうだいくうしゅうをテーマにした「ガラスのうさぎ」です。

 「ガラスのうさぎ」は、児童文学作家じどうぶんがくさっかの高木敏子たかぎとしこさん(87)の戦争せんそう体験たいけんに基もとづいた作品さくひんです。戦争せんそうが激はげしくなると、高木たかぎさんは生うまれ育そだった東京とうきょうをはなれ、神奈川県二宮町かながわけんにのみやまちですごしました。子こどもたちがアメリカ軍ぐんの空襲くうしゅうをさけるためで、疎開そかいといいます。東京とうきょうを訪おとずれたのは、東京大空襲とうきょうだいくうしゅうの4か月げつ後ご。見みわたすかぎりの焼やけ野原のはらになりました。

 東京とうきょうの家いえにいたお母かあさんと2人ふたりの妹いもうとは空襲くうしゅうの後あと、行方ゆくえが分わからなくなりました。お父とうさんは警防団けいぼうだん(消防しょうぼうや防災ぼうさいに取とり組くむ団体だんたい)の仕事しごとをしなければならず、家族かぞくがはなればなれになってしまいました。お父とうさんは「3人にんを助たすけられなかった」と泣なきながらくやんだそうです。

 東京大空襲とうきょうだいくうしゅうでは、アメリカ軍ぐんの爆撃機ばくげききB29約やく300機きが東京とうきょうの上空じょうくうを襲おそい、たくさんの焼夷弾しょういだんを落おとしました。焼夷弾しょういだんには燃もえやすい材料ざいりょうが入はいっていて、木造もくぞうの建物たてものが多おおい街まちは焼やき払はらわれました。死者ししゃは約やく10万人まんにんに上のぼり、約やく100万人まんにんが家いえを失うしなったとされています。

 高木たかぎさんの家いえの焼やけ跡あとからは、ガラスのうさぎの置物おきものが見みつかりました。お父とうさんが作つくってくれたものでしたが、半分はんぶん以上いじょうが熱ねつでぐにゃぐにゃに溶とけていました。これが本ほんのタイトルになりました。

 「ガラスのうさぎ」を出版しゅっぱんしてから、高木たかぎさんはたくさんの人ひとたちに戦争せんそう体験たいけんを語かたってきました。しかし、最近さいきんは病気びょうきになったり声こえが出でなくなったりしてきたので、講演こうえんは昨さく年ねん夏なつの二宮にのみやを最後さいごにやめることにしました。

 それでも高木たかぎさんは訴うったえ続つづけます。「戦争せんそうを起おこそうとするのは人ひとの心こころです。戦争せんそうを起おこさせないのも人ひとの心こころです。戦争せんそうを起おこさせない心こころの輪わをしっかりと結むすび、世界せかいに向むかって広ひろげていきましょう」【野本のもとみどり】

東京大空襲とうきょうだいくうしゅうで母はは妹いもうと失うしなう

 東京とうきょう・本所ほんじょ(今いまの東京都墨田区とうきょうとすみだく)でガラス工場こうじょうを営いとなむ家いえの長女ちょうじょとして育そだった敏子としこ。12歳さいの時ときに神奈川県二宮町かながわけんにのみやまちの知しり合あいの家いえに疎開そかい中ちゅう、東京大空襲とうきょうだいくうしゅうでお母かあさんと妹いもうと2人ふたりを失うしないました。終戦しゅうせんの10日前とおかまえには、新潟にいがたに再疎開さいそかいするために敏子としこを迎むかえに来きたお父とうさんが、二宮にのみや駅えきでアメリカ軍ぐんの戦闘機せんとうきの機関銃きかんじゅうにうたれて亡なくなりました。戦争せんそうが終おわり、軍隊ぐんたいに入はいっていた兄あに2人ふたりが帰かえり、新あたらしい暮くらしを始はじめるまでを描えがきます。本ほんは1977年ねんに出版しゅっぱんされ、2000年ねんに、子こどもには難むずかしい言葉ことばに説明せつめいをつけた「新版しんぱん」となりました。文庫ぶんこ版ばんなども出だされ、累計るいけいで240万まん部ぶのロングセラーとなっています。



ガラスのうさぎ/下(その2止) つながる平和への願い 「第二の悲劇」の地 神奈川・二宮の小学生(2020年3月10日配信『毎日小学生新聞』)


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二宮駅前に建つ「ガラスのうさぎ」像=神奈川県二宮町で

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「ガラスのうさぎ像平和と友情のつどい」で講演した高木敏子さん=2019年8月6日、神奈川県二宮町提供

 「ガラスのうさぎ」の主人公しゅじんこう・敏子としこは、東京大空襲とうきょうだいくうしゅうでお母かあさんと妹いもうと2人ふたりを失うしなった後のち、「第だい二にの悲劇ひげき」におそわれました。1945年ねん8月がつ5日いつか、神奈川県二宮町かながわけんにのみやまちにある二宮駅にのみやえきでお父とうさんがアメリカ軍ぐんの機関銃きかんじゅうにうたれて亡なくなりました。二宮町にのみやまちでは、二度にどと戦争せんそうをくり返かえさないようにする活動かつどうが続つづいています。

 東京とうきょうで生うまれ育そだった12歳さいの敏子としこは、二宮町にのみやまちの知しり合あいの家いえに疎開そかいしていました。お父とうさんは新潟にいがたへ再さい疎開そかいするために敏子としこを迎むかえに来きていました。8月がつ5日いつかは終戦しゅうせんの10日前とおかまえで、一緒いっしょにいた敏子としこは目めの前まえでお父とうさんを亡なくしたのです。敏子としこは地元じもとの人ひとに助たすけられながら、お父とうさんの遺体いたいを火葬かそうしました。一時いちじは希望きぼうを失うしないそうになりましたが、たくましく生いきていきました。

 平和へいわのとうとさを後世こうせいに伝つたえ、敏子としこを支ささえた人ひとたちの友情ゆうじょうをたたえようと、二宮駅にのみやえき前まえには1981年ねん、敏子としこをモデルにした「ガラスのうさぎ」像ぞうが建たてられました。毎まい年とし8月がつには「ガラスのうさぎ像ぞう平和へいわと友情ゆうじょうのつどい」が開ひらかれています。町内ちょうないの小学生しょうがくせい、中学校ちゅうがっこう、高校こうこうの生徒せいとによる朗読ろうどくや合唱がっしょうが行おこなわれています。昨さく年ねんは作者さくしゃの高木敏子たかぎとしこさん(87)が講演こうえんしました。

親おやから聞きく史実しじつ

 昨さく年ねんのつどいに参加さんかした町立ちょうりつ一色小学校いっしきしょうがっこう6年ねんの岩本いわもと桃子ももこさん(12)は、「母ははと二宮駅にのみやえきに行いった時とき、戦争せんそう中ちゅうにこの駅えきでうたれて亡なくなった人ひとがいると聞ききました。実際じっさいにこういう経験けいけんをした高木敏子たかぎとしこさんたちは、すごい苦くるしみを体験たいけんされたのだと感かんじました」と言いいます。

 担任たんにんの先生せんせいの鈴木絵理すずきえりさんによると、学校がっこうの授業じゅぎょうでは戦争せんそうの悲かなしさだけでなく、なぜ戦争せんそうが起おきてしまったのかや戦争せんそう中ちゅうの人々ひとびとの暮くらしなどをしっかり教おしえているそうです。戦後せんごにつくられた憲法けんぽうで、平和主義へいわしゅぎが大おおきな柱はしらになっていることも伝つたえています。

話はなし合あいで解決かいけつを

 今いまの小学生しょうがくせいにとって、戦争せんそうとはどういうものなのでしょうか。岩本いわもとさんは小ちいさいころ、お父とうさんに「戦争せんそうって何なに?」と聞きいたところ、「国くに同士どうしの大おおきなけんかだ」と教おしえられたそうです。子こどもがけんかした時ときは話はなし合あいで解決かいけつすることから、岩本いわもとさんは「世界せかいの国々くにぐにが平和へいわであるためには、武力ぶりょくを使つかうのではなく、話はなし合あいで解決かいけつするのが大切たいせつ」と訴うったえます。

 つどいに参加さんかした一色いっしき小しょう6年ねんの田中たなか利奈りなさん(12)は「私わたしたちは平和へいわな国くににいるから、戦争せんそうの悲かなしさとか怖こわさとかを考かんがえる時間じかんが少すくなすぎると思おもいます。つどいが、これからもずっと戦争せんそうのおそろしさを伝つたえていく大切たいせつなイベントであってほしいです」と話はなしました。作品さくひんに込こめられた平和へいわへの願ねがいは、二宮町にのみやまちで次世代じせだいへと確実かくじつにつながっています。



戦後75年・名作の風景 ガラスのうさぎ/下(その1) 外交官・小野日子さん 平和な世界に役立ちたい(2020年3月10日配信『毎日小学生新聞』)

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東南アジア諸国連合(ASEAN)の旗の前で取材に応じる小野日子さん=ジャカルタの日本大使館で

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1979年2月6日の毎日新聞朝刊に掲載された関日子さんの読書感想文

 外交官がいこうかんの小野おの日子ひかりこさん(54)=旧姓きゅうせい・関せき=は、第だい24回かい青せい少しょう年ねん読書感想文どくしょかんそうぶん全国ぜんこくコンクールで「ガラスのうさぎ」を読よんだ作品さくひんで最高賞さいこうしょうの内閣総理大臣賞ないかくそうりだいじんしょうを受賞じゅしょうしました。当時とうじ、女子学院中学校じょしがくいんちゅうがっこう(東京都とうきょうと)1年ねんの12~13歳さいで、主人公しゅじんこうの敏子としこと同おない年どしでした。今いまはインドネシアで日本にっぽんと外国がいこくを結むすぶ仕事しごとをする小野おのさんは、「『ガラスのうさぎ』の感想文かんそうぶんを書かいたことが私わたしの原点げんてん」と語かたります。【ジャカルタ武内たけうち彩あや】

原点げんてんは感想文かんそうぶん

 3月がつ10日とおかは1945年ねんに東京大空襲とうきょうだいくうしゅうがあった日ひです。小野おのさんは東京大空襲とうきょうだいくうしゅうをテーマにした「ガラスのうさぎ」を読よんだことに加くわえ、高校こうこう2年ねんの時ときに訪おとずれた広島ひろしまで被爆ひばく者しゃの方かたから体験たいけんを聞きいたことにも背中せなかを押おされました。「平和へいわな世界せかいの実現じつげんに役立やくだつ仕事しごとがしたい」。一橋大学ひとつばしだいがくに進すすみ、まだ女性じょせい外交官がいこうかんが少すくない時代じだいでしたが、「恐おそれずに挑戦ちょうせんしよう」と88年ねんに外務省がいむしょうに入はいりました。外交官がいこうかんだった皇后こうごう雅子まさこさま(56)の1年ねん後輩こうはいに当あたります。

 インドネシアの首都しゅとジャカルタで仕事しごとを始はじめたのは2017年ねんです。ジャカルタには東南とうなんアジア諸国連合しょこくれんごう(ASEANアセアン)の事務局じむきょくがあります。ASEANアセアンは東南とうなんアジア地域ちいきの平和へいわや発展はってんを目指めざして力ちからを合あわせる国々くにぐにのグループで、10か国こくが加盟かめいしています。小野おのさんは日本にっぽんの代表だいひょう部ぶの公使こうしとして、日本にっぽんの知識ちしきや技術ぎじゅつをASEANアセアンに伝つたえるのを支ささえる仕事しごとをしています。

 例たとえば、日本にっぽんが洪水こうずいや地震じしんなど過去かこの自然災害しぜんさいがいから学まなんだ教訓きょうくんや経験けいけんを共有きょうゆうしたり、ASEANアセアン諸国しょこくの震災後しんさいごの復興ふっこうを支援しえんしたりしています。また、海うみに流ながれ出でるプラスチックごみを減へらす取とり組くみに力ちからを入いれています。

 今年ことし夏なつには東京とうきょうオリンピック(五輪ごりん)・パラリンピックが開ひらかれます。小野おのさんは組織委員会そしきいいんかいで広報こうほう官かんを務つとめたこともあります。国連総会こくれんそうかいでは2019年ねん12月がつ、大会たいかい期間中きかんちゅうの休戦きゅうせんを呼よびかける決議けつぎが採択さいたくされました。五輪ごりんもスポーツを通つうじて平和へいわのとうとさを訴うったえるイベントです。

文化ぶんかや暮くらしも大切たいせつ

 「平和へいわ」は、戦争せんそうや武器ぶきだけに関かかわるものではありません。ASEANアセアンでの取とり組くみのように文化ぶんかや毎日まいにちの暮くらしを守まもることも大切たいせつです。「みんなが安心あんしんし、心こころも体からだも豊ゆたかに生いきられる社会しゃかいこそ平和へいわな社会しゃかいだと思おもいます」と小野おのさん。「ガラスのうさぎ」から読よみ取とったことを原点げんてんに、これからも平和へいわな世界せかいを追おい続つづけます。=2面めんにつづく

 ■戦争せんそうはわからないけれど


 日子ひかりこさんの読書感想文どくしょかんそうぶんのタイトルは「戦争せんそうはわからないけれど」。日子ひかりこさんの家いえでは「終戦しゅうせんの日ひ」の8月がつ15日にちが、すいとんの日ひだというエピソードから始はじまります。すいとんは小麦粉こむぎこを団子だんごにして汁しるに入いれる食たべ物もので、戦争せんそう中ちゅうによく食たべられました。お母かあさんは戦争せんそうを忘わすれないように食卓しょくたくに出だしてきました。日子ひかりこさんは「ガラスのうさぎ」で敏子としこの強つよさに共感きょうかんしながら、生いきることの大切たいせつさを考かんがえました。そして感想文かんそうぶんをこう結むすびました。「ガラスのうさぎ――この無力むりょくでこわれやすいもの。こんなにやさしく力ちから弱よわい動物どうぶつをこわしたのはだれ? 私わたしはそれを憎にくむ。戦争せんそうを憎にくむ。」




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Author:gogotamu2019
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