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「水俣病。もっと私にできることがあったのでは」(2020年3月21日配信『南日本新聞』-「南風録」)

 明るい表情が突然沈み、長い長い沈黙が続いた。「水俣病。もっと私にできることがあったのでは」。鹿児島県の初代公害課長で、先日95歳で亡くなった内山裕さんだ。退職後に話を聞く機会があった。

 元々は公衆衛生医で、昭和40年代は環境行政の中心にいた。水俣病問題では出水市など不知火海沿岸をつぶさに回り、胎児性患者らと出会う。悲惨な現実を目の当たりにして「行政が背負うべき十字架」と心に刻んだ。

 水俣病と思われる人を幅広く救済しようと奔走していた内山さんを、1977年に国が示した認定基準はひどく落胆させた。複数の症状がなければ患者と認めない門戸を狭めるものだったからだ。これが多くの未認定患者を生むことになる。

 福岡高裁は先週、胎児・小児期の被害を巡る訴訟の判決で、原告8人全員の訴えを退けた。根拠としたのが77年基準だった。一審が水俣病と認めた鹿児島関係の2人も判断を覆された。

 支援者が掲げた「敗訴」の紙を、ぼうぜんと見つめる原告の姿は痛々しかった。国に認定を拒まれ、司法に助けを求めた人たちである。救済を広げる判決が続いていた中で、再び国の基準で裁くのは無情としか言えない。

 「人の命は限りなく尊い」。水俣病と出合った内山さんが、常々語っていた言葉だ。健在だったら判決をどう受け止めただろう。優しいまなざしとあの沈黙が忘れられない。




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