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あすへのとびら 相模原事件の教訓 包み込む社会を目指そう(2020年3月22日配信『信濃毎日新聞』-「社説」)

 「言葉で意思疎通できない人が排除されない社会をどうつくるか。問いは私たちに残された」

 相模原市の知的障害者施設で入所者ら45人が殺傷された事件で、元職員の植松聖被告に死刑判決が言い渡された。長野県内で重度障害のある48歳の息子と暮らす男性は、こう受け止めている。

 一審横浜地裁の裁判員裁判で、被告は「障害者は要らない」「障害者は不幸をつくる」と事件を正当化する発言を繰り返した。

 ゆがんだ障害者観の根底には、日本社会に巣くう差別や偏見がうかがわれた。判決は、この本質を審理せず、刑事責任能力を判断して終わった。

 被告は判決後の接見取材に控訴しないと明言している。死刑が確定すると、事件は風化の一途をたどる恐れがある。

 これまで本紙は「全ての生命には生きる価値がある」「私たち自身の意識の底に差別は潜んでいる」と訴え、誰もが共に生きられる社会の実現を呼び掛けてきた。

 日々の暮らしの中に何をどう落とし込めば、問いの答えは見えてくるのだろうか。一歩踏み込んで考えてみたい。

<教育の敗北を知る>

 被告は神奈川県内の公立小中学校に通った。父親が教員で、自らも教員を目指し大学で免許を取得。結局、教職には進まず、運送業を経て施設に就職した。

 その過程では、障害者をはじめ支えが必要な人との接し方を学び、研修もしているはずだ。

 飯田市出身で、神奈川県の教員や職員として障害児教育に携わった鈴木文治さん(71)=川崎市=は「人権教育も福祉教育もなおざりになっていることを知らされた事件だ。教育の敗北」と嘆く。

 退職後に大学教員となった鈴木さんは、県内の学校に講演で訪れた際、事件のことを授業やホームルームで取り上げた教員がいるか、挙手を求めた。

 どこも手を挙げる人はおらず、「どう話していいか分からない」とも言われたという。通常の学級を受け持つ教員が障害者のことを担当外と意識している表れではないかと、鈴木さんはみる。

 神奈川県が障害児教育に遅れているわけではない。むしろ先進県だ。早くからインクルーシブ教育を目標に掲げ、推進してきた。

 インクルーシブには「包み込む」という意味がある。障害のあるなしにかかわらず全ての子どもが共に学ぶ仕組みだ。できるだけ同じ教室で学べるよう環境を整え、個別支援が必要な時は専用の教室で過ごしてもらう。

 日頃から障害者と接することで困難や支える意味を知り、差別の意識の壁をなくす狙いがある。障害者だけでなく不登校や外国籍の子どもも対象だ。

 推進の中心的な立場にいたことがある鈴木さんにとって、事件の衝撃は大きかった。「本当にきちんとやってきたのか。問い返さなければいけない」と強調する。

<ボランティアの力>

 インクルーシブ教育の理念を社会の中に根付かせるにはどうすればいいか。鈴木さんの実践を参考にしたい。

 2006年4月に開校した神奈川県立の特別支援学校に初代校長として赴任。入学式当日、正門前に車が止められ、出入りができなくなった。学校設置に反対する地域住民の抗議行動だった。

 さらに、生徒が住民にけがをさせるトラブルも起き、特別支援学校の子どもたちを地域に出すことを禁じる事態に発展した。

 鈴木さんは、地域の小中高校に出向き、福祉の授業を始める。子どもたちに障害について語り、障害者と触れ合う機会も設けた。

 同時に学校に地域ボランティアを受け入れ、登録者を募った。団体や個人をつなぎ、地域が抱える問題を考え、支え合う仕組みづくりにも取り組んだ。

 学校が主体的に地域とつながりを持った結果、ボランティアの登録者は増え、抗議していた住民も理解を示したという。

 中でもボランティアは、体験を語ることで障害者も同じ人間だとたくさんの人に知らせてくれ、学校を地域に開いた。鈴木さんは「インクルーシブ社会へ歩むときの担い手」と評価する。

 昨年の台風19号豪雨災害では長野県内の被災地に多くのボランティアが駆けつけた。被災者と交わって、苦しい現状を全国に発信し、共感を広げてくれた。

 同じように、住民が地域の支え合いのために日常の暮らしの中でできないか。一人で暮らす高齢者や障害者の手助け、外国籍や生活困窮家庭の子どもの居場所づくり…。それが当たり前の風景になったとき、共に生きる社会への道筋が見えてくるのではないか。

 事件を忘れないこと、本質を問い続けることは大切だ。その上で自分に何ができるかを考えたい。




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Author:gogotamu2019
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