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子どもに芸術、命注ぐ 宮城まり子さん、最期まで病床から指導(2020年3月23日配信『静岡新聞』)

子どもに芸術、命注ぐ 宮城まり子さん、最期まで病床から指導

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2018年、天皇、皇后両陛下とねむの木学園の園生のダンスを鑑賞する宮城まり子さん(右)=掛川市

 掛川市のねむの木学園園長として、障害のある子どもたちの育成に生涯をささげた宮城まり子さん(93)が21日亡くなった。2年ほど前から悪性リンパ腫との闘病を続け、施設職員によると、亡くなる直前まで子どもたちへの芸術指導に力を振り絞っていたという。

 宮城さんは女優として脳性まひの子どもを演じた経験から、障害のある子どもたちが教育から置き去りにされていると知り、1968年に当時の浜岡町(現御前崎市)に学園を開いた。子どもたちの芸術の才能に注目して絵画や音楽の指導を重ね、その作品は世界的評価を受けてきた。

 「子どもたちの頑張りを多くの人に見てもらい、認め合う大切さを感じ合える場所になれば」と運営への思いを語っていたが、2年ほど前にがんであることを公言。昨年10月に学園で開いた運動会では、招待客に「子どもたちが心配だけれど、みんなに守られてここにいることをありがたく思います」と周囲への感謝を伝えていた。

 今年8月には静岡市のグランシップでコンサートが計画され、宮城さんが指揮を執る予定だった。学園によると、宮城さんは亡くなる数日前まで、体調を崩していた生徒の病状を職員に尋ねるなど子どもたちを気に掛けていたという。

 職員の梅津健一さん(61)は「みんなのお母さんとして慕われてきた。子どもたちとの関わり方は、私たち職員から見ていても毎日発見の連続だった。職員で遺志を引き継がなければならない」と話した。

 ■障害者アートの先駆者

  障害者芸術の認知度向上に力を尽くした宮城まり子さん。静岡県内で障害者の文化芸術活動を推進する関係者は、先駆けの死を悼んだ。障害者の表現活動を発信する認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ(浜松市中区)の久保田翠代表理事は、「日本の障害者アートの先駆者。多くの文化人を巻き込んだのは彼女だからできたこと」と振り返った。

 障害者の作品をブランド化する取り組み「ハチエイチ」を手掛けるNPO法人エシカファーム(三島市)の風間康寛理事長(47)は「はるか昔からアートを通じて障害者の長所を認める活動をしていた」と敬愛の念を込めた。「作品を、施設外との関わりの中で評価する仕組みを作った」とたたえた。

 県障害者文化芸術活動支援センター「みらーと」(静岡市葵区)を運営するNPO法人オールしずおかベストコミュニティの小出隆司理事長(67)は宮城さんの活動で「病院をはじめ障害者の作品を展示してくれる場や、多分野の方との関わりが増えている」と指摘。「私たちも障害者の素晴らしい才能を日々感じている」と語った。

 ■「感銘受けた」「残念」 静岡県の障害福祉関係者

  宮城まり子さんの逝去を受け、ゆかりのある本県の障害福祉関係者からも死を悼む声が上がった。

 「共生社会を全力で実践した方で、非常に残念。もう一度会いたかった」。そう惜しむのは静岡県立大短期大学部の佐々木隆志教授(63)=社会福祉学=。30年ほど前、前任校の弘前学院短期大(青森県)時代に宮城さんに講演を頼んだことがあるなど関係は古く、「『子どもたちのために』との言葉を繰り返していたのが印象的だった」と振り返る。福祉は特別なものではないという宮城さんの信念を「次代に伝え続けたい」と誓った。

 県社会福祉協議会の高橋邦典事務局長は県職員時代に数回会う機会があったといい、「私財を投じ、障害児者の福祉に人生を懸けられた。象徴的な存在だった」と話した。子どもの障害を個性と捉え、褒めて伸ばすのが宮城さんの教育だったとし、「同じ福祉に携わる人間としてとても感銘を受けた」と述べた。

 ■尊敬し、憧れた女性 川勝平太知事の話

 最も尊敬し、憧れた女性だった。ねむの木学園で子どもたちのために半世紀以上、献身されてきた。学園の将来について掛川市と協力し、まり子さんに安心してもらえるようにしたい。支援団体の代表を務めてもらった知事選では、雨が降っても風が吹いても街頭に駆け付けてくれた。美しい心を持っているだけでなく、頭脳明晰(めいせき)で、政治を見る目も厳しく、平和を愛する気持ちもことのほか強かった。親しかった上皇后陛下が仕事に注目されていたことも当然で、本当に立派な人だった。

◇宮城まり子さんとねむの木学園の歩み◇

1927年 東京都に生まれる

  55年 「ガード下の靴みがき」で歌手デビュー。舞台やテレビなどで活躍

  58年 「12月のあいつ」で芸術祭賞受賞

  68年 旧浜岡町(現御前崎市)に日本最初の肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」設立

  73年 吉川英治文化賞受賞

  79年 ねむの木養護学校(小学部、中学部)設立

  82年 ねむの木養護学校(高等部)開校

  84年 ねむの木の子どもたちによる劇団「虹」結成。コンサート活動など始める

  89年 劇団「虹」とともに芸術祭賞受賞

  91年 米ニューヨークなどで「ねむの木学園美術展」「シンポジウム:障害児教育における美術教育」を開催

  97年 ねむの木学園を掛川市へ移転。身体障害者療護施設「ねむの木のどかな家」を設立

  99年 文化施設として「吉行淳之介文学館」「ねむの木こども美術館」を開館

2000年 静岡県都市景観賞最優秀賞を受賞

  18年 天皇、皇后両陛下がねむの木学園をご訪問。宮城さんらと交流



宮城まり子さん死去 93歳、掛川「ねむの木学園」園長(2020年3月23日配信『静岡新聞』)

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子どもたちに囲まれてほほえむ宮城まり子さん(中央)=2018年4月、掛川市のねむの木学園

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学園のクリスマスパーティーで子どもたちの演奏を楽しむ宮城まり子さん=2019年12月24日、掛川市のねむの木学園

 戦後に歌手、女優として活躍した肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」(掛川市)園長の宮城まり子さん(みやぎ・まりこ、本名本目真理子=ほんめ・まりこ)が21日午前6時55分、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。93歳。東京都出身。27日に学園関係者のみでお別れの会を同学園で行う。

 23日学園関係者が取材に応じた。学園によると、宮城さんは2月3日に体調を崩して掛川市内の病院を受診し、間質性肺炎のため緊急入院した。3月6日には都内の病院に転院。転院してからは意思疎通も難しい状態だったが、意識が遠のく中でも子どもたち一人一人を最後まで気に掛けていたという。2年ほど前から自らが血液のがんであることを周囲に語っていた。21日は宮城さんの93歳の誕生日だった。

 宮城さんは1955年、「ガード下の靴みがき」で歌手デビューし、戦後の大ヒット曲となった。その後、女優としてミュージカルやテレビ、舞台、映画などで幅広く活躍した。

 68年には私財を投じて旧小笠郡浜岡町(現御前崎市)に国内初の肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を設立。体が不自由な児童たちに歌や絵画描写などの芸術活動を通じた教育実践を地道に続け、個性を伸ばす取り組みに力を注いだ。児童たちの美術展は国内外で高く評価された。

 97年、施設を掛川市に移転。「ねむの木村」を整備した。作家の故吉行淳之介さんと連れ添ったのも有名で99年、敷地内に「吉行淳之介文学館」を開館した。

 障害のある子どもたちへの長年の教育実践が評価され、「ヘレンケラー教育賞」(88年)など数々の賞を受賞した。上皇ご夫妻とも親交があり、ご夫妻が2018年11月に学園を訪問した。





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