FC2ブログ

記事一覧

女優、宮城まり子さん死去 93歳 養護施設「ねむの木学園」運営に関する記事集(2020年3月23日)

女優、宮城まり子さん死去 93歳 養護施設「ねむの木学園」運営(2020年3月23日配信『毎日新聞』)

キャプチャ
宮城まり子さん=1995年11月14日撮影

キャプチャ
忙しい仕事の合い間を見つけ、キャンバスに向かう宮城まり子さん=東京都内の自宅で1956年2月撮影

キャプチャ
ねむの木学園園長の宮城まり子さん=2014年10月13日撮影

 日本で初めての肢体不自由児の養護施設「ねむの木学園」を運営してきた女優、宮城まり子(みやぎ・まりこ、本名・本目真理子=ほんめ・まりこ)さんが21日、死去した。93歳。自宅は東京都世田谷区上野毛3の22の5。

 東京都出身。1955年に「ガード下の靴みがき」で歌手デビューした。その後、ミュージカル女優などとしても活躍し、テレビドラマ「てんてん娘」や映画「オンボロ人生」で地位を築いた。

 脳性まひの子の役を演じたことなどから障害児教育への関心を高め、68年に私財を投じて「ねむの木学園」を静岡県浜岡町(現御前崎市)に開いた。74年、障害のある子どもたちとの日々を描いた記録映画「ねむの木の詩」を製作・監督して反響を呼んだ。

 97年、施設を同県掛川市に移すとともに「ねむの木村」を開設。美術館などを併設して独自の障害児教育に取り組むとともに、全国各地で絵画展やコンサートを開いて障害者への理解を訴えてきた。

 94年7月に死去した作家の吉行淳之介氏とは、伴侶として約40年間を過ごし、99年には園内に吉行淳之介文学館も開設した。

キャプチャ
吉行淳之介さん(左)は最大の理解者でもあった

 2012年に瑞宝小綬章を受章。上皇ご夫妻とも交流があり、18年11月には両陛下が私的旅行として、ねむの木学園を訪れるなどした。

キャプチャ

 学園を巡っては、11年2月、関連団体の元職員らが宮城さんから運営資金約1500万円をだまし取ったとして警視庁に詐欺容疑で逮捕される事件も起きた。

宮城まり子(みやぎ・まりこ、本名本目真理子=ほんめ・まりこ)さん。東京都出身。
 戦後、劇場などで本格的に歌い始め、1950年代に、靴磨きをして生きる戦災孤児を歌った「ガード下の靴みがき」をはじめ、「毒消しゃいらんかね」「東京やんちゃ娘」毒消しゃいらんかね」「夕刊小僧」「さいざんす・マンボ (トニー谷とのデュエット)」「ジャワの焼鳥売り」「恋は陽気にスイングで」「手のひらを太陽に(NHK「みんなのうた」)などがヒットした。市川崑監督の映画「黒い十人の女」などに出演し、60年代後半からは舞台で活躍した。

 68年に私財を投じて静岡県浜岡町(現御前崎市)に「ねむの木学園」を設立(後に同県掛川市に移転)し、園長に就任。自ら監督を務め、学園の様子を記録した映画「ねむの木の詩」(74年)は多くの共感を集めた。



キャプチャ



「障害ある子にも教育を」支援の先駆け、宮城まり子さん

キャプチャ2

キャプチャ3
天皇、皇后両陛下(当時)がねむの木学園を訪れ、出迎える宮城まり子さん(右から2人目)=2018年11月、静岡県掛川市

キャプチャ2
運動会で子どもと握手をする宮城まり子さん=2018年10月28日、静岡県掛川市

 日本の肢体不自由児養護施設の先駆けとなった「ねむの木学園」を創設した宮城まり子さんが亡くなった。93歳だった。歌手や俳優として活躍した後、障害がある子どもたちの福祉のために生涯をかけた。

 1927年に東京で生まれ、小学3年から大阪に。母親とは早くに死別した。

 20代で歌手としてデビュー。社会福祉への関心を高めたのは、55年に「ガード下の靴みがき」が大ヒットした直後だった。

 57年、「婦人公論」の取材で知的障害がある子どもを知った。59年、米国の俳優シャーリー・マクレーンさんの紹介で渡米、身体障害者に対する米国社会の積極的な理解に触れた。

 その後ミュージカルで脳性まひの女の子の役を演じることになり、役作りのために障害児の施設を訪れた。その際、当時は多くの重度障害児が「就学猶予」として義務教育の機会を与えられず、学校に通えないことを知った。

 「障害がある子もない子も教育を受け、愛されて当然。誰もつくってくれないから、自分でつくろうと決心しました」

 2018年のインタビューに、当時の思いをこう振り返っていた。その思いを実現させたのが、1968年に完成したねむの木学園だった。

 障害がある子どもに対する福祉と教育の一体化を目指し、制度に先んじて実践を重ねた。

 私財を投じて立ち上げた学園は、肢体不自由児のための養護施設の先駆けとなった。養護施設として開園し、学ぶ場を確保するため、施設内に公立学校の「分校」も設けた。

 「すべての子どもたちに可能性がある」が信念だった。学園では、絵画や音楽、工芸などを積極的に教育に採り入れた。国内外で作品展「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」の開催を重ねるなど、子どもの個性を伸ばす活動に取り組み続けた。

 上皇ご夫妻と40年以上にわたる交流もあった。76年12月には当時のお住まいの東宮御所に招かれ、子どもらの絵を披露。その後も美智子さまに美術展に足を運んでもらうなど、交流が続いた。

 子どもたちの障害福祉に大きな功績を残した宮城さんの訃報(ふほう)に、関係者にも悲しみが広がった。

 日本障害者協議会代表の藤井克徳さん(70)は「肢体不自由児に関する制度が未整備だった時代に、教育、生活の場をつくったのは先駆的だった。大規模な絵の展覧会なども通して、障害者問題を社会化したという点で、重要な役割を担った。1、2年前だったと思うがテレビで拝見し、お元気だと思っていただけに残念」と悼んだ。

 宮城さんが会長を務める日本肢体不自由児療護施設連絡協議会の事務局長で、精陽学園(神奈川県平塚市)園長の市川進治さん(57)は、「芸能界での活動・肩書をなげうって、全ての精力を障害児の支援に捧げた人生だった。日本の福祉の草分けの一人で存在感は大きかった」と惜しんだ。「施設には、虐待を受けるなど家庭に恵まれない子どもも多い。そうした子の『お母さん』として、お年を召してからも、一人でも熱を出せば心配し、通院に付き添っておられた。そうした姿勢は晩年までまったく変わらなかった。まり子先生の志を継いでいけるよう協議会活動を続けたい」と話した。

ねむの木学園の歩み■

1957年 宮城さんが月刊誌取材で福祉への関心を高める

  68年 養護施設ねむの木学園開園

  73年 肢体不自由児養護施設に

  79年 ねむの木養護学校開校 こども美術館、図書館開館

  82年 養護学校高等部開校

  86年 掛川市で初の地元説明会

  94年 天皇、皇后両陛下(当時)が訪問

  97年 掛川市に移転

  99年 美術館、吉行淳之介文学館開館

2007年 こども美術館開館

2018年 天皇、皇后両陛下(当時)が訪問



俳優の宮城まり子さんが死去 「ねむの木学園」を設立(2020年3月23日配信『NHKニュース』)

キャプチャ

 歌手や俳優として活躍し、日本で最初のからだの不自由な子どもたちのための養護施設「ねむの木学園」を設立した宮城まり子さんが亡くなりました。93歳でした。

 宮城まり子さんは昭和2年に東京で生まれ、歌手として昭和30年に「ガード下の靴みがき」がヒットし、俳優としても舞台や映画で活躍しました。

 ボランティア活動にも取り組み、昭和43年に日本で最初のからだの不自由な子どもたちのための養護施設「ねむの木学園」を今の静岡県御前崎市に作りました。

「ねむの木学園」は、平成9年に静岡県掛川市に移され、大人の障害者のための施設「ねむの木のどかな家」や美術館などを併せ持つ「ねむの木村」へと発展しました。

 この間、宮城さんは「ねむの木学園」の子どもたちを生き生きと描いた「ねむの木の詩」や「HELLO KIDS!」などの映画を製作・監督し、多くの賞を受賞しました。

 宮城さんは平成6年に亡くなった作家の吉行淳之介さんと長年にわたって生活を共にし、お互い良き理解者として支え合い、ねむの木学園などの建設を実現させました。

 去年、血液のがんを患っていることを公表して闘病を続けていました。



キャプチャ

キャプチャ2

キャプチャ3

キャプチャ4

キャプチャ5

キャプチャ6

公式サイト➡ここをクリック







スポンサーサイト



プロフィール

gogotamu2019

Author:gogotamu2019
障害福祉・政治・平和問題の最新ニュース・論説紹介

最新記事

カテゴリ