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校長と対立「退学させますよ」れいわ・木村英子議員の壮絶すぎる女子高生時代(2020年4月5日配信『文春オンライン』)

話しかけられるのは介護者ばかり れいわ・木村英子議員が国会でも感じた差別 から続く

 重度障害者2名が参議院選挙に当選し大きな話題を集めてから8か月余り。今、彼らは何を考え、どこに向かっているのか。れいわ新選組の木村英子参議院議員に、議員と同じ重度脳性麻痺者のライターである私、ダブル手帳( @double_techou )がインタビューした。

 この取材のために新幹線に乗ったところ、駅員や車掌の方々の態度が以前とまるで違った。「車椅子席が狭くてすみません」などと言われたのは生まれて初めてだ。間違いなく、木村議員が委員会でその問題を指摘したことによるものだろう。私も木村議員の影響力をひしひしと感じている障害者の1人だ。(前中後編の#2/ #1 、 #3 を読む)

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木村英子議員

◆◆◆

振り返ると「生意気な人だった」

——生い立ちやこれまでの経歴について教えてください。

木村 1歳前に歩行器ごと玄関から落ちて障害を負い、間もなく施設に預けられて、物心ついた時には施設でした。リハビリと手術の毎日でしたが、手術を繰り返すごとに障害が重くなっていって。18歳までは、ほとんど施設と養護学校に居ましたね。

——長い間、施設におられたんですね。「自立ステーションつばさ」(*)の現代表で、養護学校時代の後輩の藤吉さおりさんに当時の木村議員の印象を伺ったら、「すごくオシャレで、憧れの先輩だった」と仰っていました。

木村 オシャレはしてないんですけどねえ(笑)。そうだったのかな(笑)。

*……木村議員らが中心となり1994年に多摩市に設立した障害者の自立生活支援団体。

——ご自身で振り返ると、どんな子どもでした?

木村 苦言を言う生意気な人だったとは思います。それが後輩から見ると、憧れに繋がるのかはよく分からないですけど。近寄りがたかったのかな。

——社会福祉研究クラブというところに在籍していたそうですね。

木村 そうですね。そこに入ったのがきっかけで、いろいろな新聞記事や、地域で自立生活しておられる障害者の手記を読んだり、セミナーに参加したりして。

 それまでは「私は障害があるから、健常者と同じ夢は持っちゃいけない」「自分は役に立たない人間だから外に出ちゃいけない」と思っていたんですが、クラブの活動を通して自我が目覚めていったというのはあると思います。

壮絶すぎる女子高生時代

——そのクラブが校長と対立していたという話も拝読しました。当時の校風は、やはり「自立なんて絶対駄目」という感じだったのですか?

木村 はい。まず、1人で外に出ることすら許されないので。校長と対立したきっかけは、私が1人で電車やバスに乗った自分の姿を写真に撮って、文化祭で上映したこと。あとは、主演の劇で、養護学校批判をやったことですね。

 そうしたら私と親が校長に呼ばれて、「これ以上やるなら退学させますよ」という感じのことを言われて。その後、社会福祉研究クラブは潰されそうになりました。

——なかなか壮絶な弾圧ですね。

木村 あと、同じ部屋の子に話しかけられなくなりました。「親から『英子ちゃんとは話しちゃ駄目』って言われてるから話さない」とか言われたり。

 別に闘うつもりじゃなかったんですけど。わがままだったんだと思います(笑)。

——先程、高校生の時に劇の主演をされたと仰いましたね。演劇はお好きだったんですか?

木村 そうですね。声を使うのが好きだったんです。高校1年の時は演劇部でしたし。中高通して、施設の中で放送クラブや昼休みのDJ、校内放送などもやっていました。

——本当にお声が綺麗ですよね。

木村 いやー、最近はちょっとトーンが落ちたので。午前中の声は絶対聞きたくないってみんなに言われます(笑)。

2回分の着替えを車いすの後ろに持って

——当時はまだまだ、障害者は施設で暮らすことが当たり前の時代でした。そんな中、自立生活はどうやって始めたのですか?

木村 高校卒業後は「三井絹子さんという人が国立市に『かたつむりの家』という障害者の自立生活のための家をオープンした」という毎日新聞の切り抜きを大事に取っておいて、それだけを頼りに国立に行きました。

 そこで「かたつむりの家」にお世話になって自立ができたんです。「私にも普通の健常者と同じ権利があるんだ」というのは、三井さんたちと暮らしてみて初めて本当の意味で実感したような気もします。

——「かたつむりの家」に初めて行った時はお1人で移動されたんですか?

木村 そうです。車いすの後ろに2回分ぐらいの服を持って。お金は片道切符だったような気がします。行って、ご飯を食べさせてもらって、帰り賃を借りたりとかして。

——たくましいですね。

木村 本当にみんなに助けられましたね。その後、国立市で三井さんと一緒に活動する中で、「私も同じような自立の家を作って仲間を施設や親元から出したい」という夢ができて、26歳の時に多摩市に移り住んで「自立ステーションつばさ」を立ち上げまして。

 その間、結婚したり子どもが生まれたりしつつ今に至っています。

活動を支えてくれる、夫との出会い

——夫の雅紀さんとの出会いについても伺えますか。

木村 「かたつむりの家」の活動で出会いました。当時は公的な介護制度が少なかったので、「専従介護」といって、少ない介護者を何人か共同で雇っていました。そんな経緯で、彼が「かたつむりの家」の専従介護者として雇われたんです。

 ただ、彼は男性の障害者の介護の担当者だったので、私個人の介護者ではなかったです。一緒に活動をしている中で、恋愛関係になったという感じですかね。

——雅紀さんが入院されていた時に何度も通われたそうですね。

木村 ええ、彼に持病があったので、入院先に行ったりしました。遠い昔なんでちょっと忘れちゃいましたけど(笑)。結婚してからもう30年とかそんな感じです。

——雅紀さんのどんなところが好きですか?

木村 え〜、それは難しい質問ですね……。好きな部分とか言われてもね(笑)。

 最初に恋愛関係になった時に、兄弟や親族のような、身近な安らげる感じがよかったんですかね。だから、いわゆるラブラブみたいな感じではなかったと思います。

障害者と健常者のカップルが直面すること

——雅紀さんの手記の中で、「当時は英子さんから随分いろいろ指摘を受けた」という旨を拝読しました。どんなことを議論されたのですか?

木村 やはり障害者と健常者という違いが大きかったですね。当然、障害者の人に合わせた生活になるし。例えば、2人きりになりたくても私の介護者が常時居てプライバシーがないとか、そういった葛藤や辛さはあっただろうと思います。

 私は常に他人が居ないと生きていけないので、そういった状況が、きついですけど当たり前になっています。一方健常者の人は、普通は必ず自分1人の時間を持てますよね。障害者と一緒になることでそれが全くなくなるというのが、とても大変だったんじゃないかと思います。

——当時雅紀さんは、それに対してストレートに不満を仰っていたんですか?

木村 彼は結構自分の中に溜めちゃうタイプなので。溜めたやつがどう出るかというと、病気になって出てくるんですね。言葉で言うというよりは、倒れるという。「あ、倒れた。これはもう限界なんだな」みたいな感じです。

——木村議員としては、もっと率直にいろいろ不満を言ってもらいたかったですか?

木村 言ったから解決するという問題でもないんですよね。お互いどう生活したら快適に過ごせるかを、その都度話し合ったり模索したりしながらやってきました。山あり谷あり、色々ありましたけどね。

子どもを持つと、差別がより鮮明になった

——お子さんがおられるとおっしゃいましたね。障害者として子育てを経験する中で、初めて知ったことや驚きなどはありましたか。

木村 子どもを持つと、1人の時よりも差別がより鮮明になりました。

——それは、差別が増えたのですか? それとも、より差別に気付くようになったんですか?

木村 両方です。まず、「重度障害者で車いすに乗っている人がお母さんだ」という認識が周りにないからビックリされます。障害者だからということで突然PTAの役員から外されていたりとか。

 あと、授業参観とかで皆後ろで子どもたちを見る時。車いすってただでさえスペースを取るのに、車いすの半径1メートルぐらいは誰も近寄ってくれなくて。で、一番端の人が教室に入れないから、私が「もっと傍に寄っていいですよ」と言っても、「あ、いいですいいです」と言って寄って来ないとか。

 しまいにはちょっと私も怒って「寄ってこないと向こうの人が入れなくて困るから詰めて下さい」と言って、ようやく詰める、という感じですかね。

——よそよそしいですね。陰口というよりは、無言で自然と人が避けていくという感じでしょうか。私もすごくそういう経験があります。

木村 公園デビューとかもできないですよね。しても誰も話しかけてくれませんから。

一緒の環境で過ごすことが、差別や垣根をなくす

——木村議員は「インクルーシブ教育の推進」も強く訴えておられると思うのですが、こういったご経験が関係しているのでしょうか。

木村 その通りです。「インクルーシブ教育」は障害者のことをもっと知ってもらうためにも必要だと思っています。

 地域で小さい時から一緒に遊んだり、同じ保育園や学校に行ったりしたという人は少ないのが現状ですので。健常者の方も全ての人が意地悪なわけではなくて、障害者にどう接したらいいか分からないんでしょうね。何か手伝いたいと思って下さる方でも、どういうふうに声をかけたらいいか悩まれるんだと思います。

——悪意というより躊躇ですね。

木村 そういう意味では、学校・保育園・地域などで、一緒の環境で過ごすことが、差別やお互いの垣根をなくしていく方法だと思います。

出馬に息子は賛成、夫は反対

——出馬に対して、息子さんは賛成された一方、雅紀さんは当初反対されたそうですね。

木村 体のことが一番心配だったみたいですね。私は障害がだんだん重くなってきていて。特に心臓が弱いから心臓発作が何回か起きていて、それがいつまた起こるか分からない状況があります。あまり疲れすぎると体に来る。

 2人とも元々障害者運動をやってきたので、議員としての活動内容については特に反対は無いですけど。むしろ「合ってるんじゃない?」ぐらいの感じ。今は彼も応援してくれています。

——今年の抱負は「健康第一」だそうですね。

木村 そうですね。なるべく健康に意識を集中しながらやっていきたいと思います。なかなか難しいですけどね。

——今はすごくお忙しいと思いますが、お好きなお芝居など見に行かれたりしますか?

木村 ええ。見に行きますし、たまに出演したりもします。自立してからすぐに、「かたつむりの家」の人たちと一緒に演劇を作って各地を回りまして。

 今は知的障害者の方が中心になって『はるながまちにやってきた』という劇をあちこちで演じておられて、そこに時々友情出演させてもらってます。

——じゃあ、今も舞台に立たれることがあるのですね。

木村 たまにあります。ほぼ実話なので、自分の若い頃のエピソードを舞台の上で表現するという感じです。最近演じたのは、自立したばかりの頃に介護者が見つからず、外の公衆電話の車いす用のボックスで一晩を明かしたエピソードです。

 そういう私たちの現状を一人でも多くの人に知ってもらうことも活動目的の一つです。演技への興味と周知啓発を両方兼ねてまして。普段の活動とは違う伝えられ方ができるという醍醐味もあります。

障害者が国会議員の半数ぐらいいてほしい

——当選時のインタビューで、「正直荷が重い。多くの障害者に国会に来てほしい」という趣旨の発言をされていましたね。今も同じ思いですか?

木村 そうですね。変わらないです。委員会などで質問に立つために視察していると、「今まで私は他の障害の方の現状を知らなかったな」とつくづく思うんです。

 私も当初から太郎さん(山本代表)と同様に、「その道のプロフェッショナルが議員になればいい」と思ってます。例えば、視覚障害者のバリアの問題は、視覚障害者がちゃんと国会に立って発言されるのが、一番伝えやすいし分かりやすい。

 私としては、障害者が国会議員の半数ぐらいいてほしいような気持もあるんです。

——半数というのは大胆ですね。

木村 いろいろな障害者の方がいるわけなので、国会議員にもいっぱいいればと。そうしたら色んなケアが必要になりますから、支え合うということも覚えますし、わざわざ言わなくても合理的配慮が実現しますから。そうすれば、人々が優しく支え合う社会も実現していくと思います。

 今は2人しかいないから、2人に全部重圧がかかるので、とてもじゃないけど担いきれない。お約束できることもほんのわずかになっちゃうし。国会議員になりたい障害者の人は、是非私のところに来てほしいですね。

障害者運動に興味を持った健常者に伝えたいこと

——木村議員としては、政策の違いはともかく、先程「お友達」と表現されたように、他の様々な国会議員とももっと交流を深めていきたいですか?

木村 そうですね。普通の友達も必要だと思いますし、政策面も話し合える関係性も必要だなと感じます。やはり、障害者と健常者の両方の視点が入るととても良い政策ができると思いますので。

——私の同世代だと、木村議員が長年取り組んできた障害者運動の存在すら知らない人がたくさんいます。今回木村議員のインタビューを読んだ方が「もっと障害者運動について知りたい」と思った場合、どうしたらいいでしょうか?

木村 お住まいの地域に障害者団体があれば、そこに行って色々学ばれたらいいと思います。もっと知りたいことがあれば、そこから他の団体を紹介してもらったりして、いろんな障害者の方に会われるといいでしょうね。

——当事者に直に学ぶわけですね。

木村 そうですね。もしシビアな現実を知りたいというのであれば、やっぱり障害者を介護することが一番だと思います。それはつまり相手のプライバシーに入っていくことですから、自分自身の中にあるものが色々と見えてきますよ。メンタル的には大変ですが、自分自身の興味が本当なのかどうかも確かめられますし。

 あとは、1人の人とじっくり友達になるということもとても大事です。

人って簡単には仲良くなれない

——友達になる。

木村 人ってなかなか簡単には仲良くなれないですし、関係を築く過程で、今まで見えなかった世界が見えます。

 障害者と一緒に旅行とか行くと面白いですよ。例えば車いすの人となら、電車に乗るにも、皆さんが普段歩いているルートじゃなくて、エレベーターのあるルートでホームまで行くことになる。

——私に初めて同行してくれた人は「こんなに大変だとは知らなかった」と言いますね。私のような一障害者側からしても、誰か一緒に旅行してくれたらすごく助かります。

木村 一緒に行くと必ず差別に当たりますから、それを自分も一緒に受けてみて、その時に自分は相手の立場に立てるかどうか、とか。そういうことも、経験の中で分かってくると思います。

(#3「 『けしからん』国交相を動かした、れいわ・木村議員の質問力はなぜ高いのか 」へ)

写真=深野未季/文藝春秋

(ダブル手帳)






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