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供養のシンボル「角塔婆」再建立 足尾鉱毒事件 強制廃村の旧谷中村(2020年4月12日配信『東京新聞』-「栃木版」)

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新しい角塔婆を建立する「谷中村の遺跡を守る会」のメンバー=栃木市で

 「公害の原点」といわれる足尾鉱毒事件で強制廃村に追い込まれた旧谷中(やなか)村(現・栃木市)。渡良瀬遊水地内の共同墓地にあった旧村民供養のシンボル、角塔婆(かくとうば)は昨年10月の台風19号で流失したが、市民団体の尽力で新たに建て直された。台風19号からちょうど半年となる12日、再建立を祝う法要が現地で行われる。 

 栃木、群馬など4県にまたがる渡良瀬遊水地は台風19号の際、過去最大の約1・6億立方メートルの雨水を貯水し、下流部の被害を軽減した。一方で、遊水地内の延命院跡や共同墓地などが残る史跡保存ゾーンは大きな被害を受け、角塔婆も行方知れずとなった。

 再建立したのは「谷中村の遺跡を守る会」。1972年に発足し、旧谷中村民の子孫らを中心に現会員は約150人。「公害の原点」を後世に伝える活動を続けている。

 守る会の8人が10日午後、遊水地内の共同墓地内で建立作業をした。新しい角塔婆はヒノキづくりの四角柱で高さ3メートル。鉱毒反対運動の指導者、田中正造(1841~1913年)とゆかりの深い赤麻(あかま)寺(栃木市)の仙田光俊名誉住職(87)の筆で、旧村民の冥福を祈る言葉が記されている。

 守る会会長で宇都宮大名誉教授の高際(たかぎわ)澄雄さん(71)は「再建立は悲願だった。角塔婆は谷中村を偲(しの)ぶ貴重な存在で長く後世に引き継いでいきたい」と話した。

 旧谷中村は1880年、三村の合併で生まれた。豊かな農村地帯で94年の資料に386戸、人口23102人と記録が残る。村は足尾銅山から流れる鉱毒の被害を受け、正造も19044年夏から同村に移住している。06年に村議会の反対議決を無視して強制廃村され、栃木県藤岡町(現・栃木市)に編入、現在の渡良瀬遊水地となった。

 法要は一般の参列も可能。12日午前10時半から約1時間、史跡保存ゾーン内の共同墓地で行われる。

谷中村の遺跡を守る会➡ここをクリック

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渡良瀬遊水地




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